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アメリカ比較文化論 まとめ [講義レポート]

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アメリカは移民の国家であることは周知の通りである。 19世紀においては農業国家であったために土地を耕す労働力が必要であったためであり、19世紀後半に東部海岸で工業が発展した時代は、工場で働く労働力が必要であったためである。 そして農耕民が工場労働者になる場合もあれば、高賃金を求めて移住するものもいた。
アメリカで金を作って欧州の故国で人生を終える人もいた。
まとめると
19世紀始めは農地改革、自由な土地を求めて移住してきた。
このため、移民の出身国も西欧・北欧といった先進国かつ英語系である。

19世紀後半は工場労働者として移住。出身国も南欧・東欧という非英語系である。

出身国が違えば言語も違ってくる。 となれば、同じ言葉を話す同士で集まって住むようになる。

サロンには新しく来た人にとっては社会のネットワークの場であり、職場の斡旋場ともなった。 ボスが病気になった際に病院紹介をしたりもした。

すると、移民もアメリカの市民権を持つため、移民の投票権を掌握するようになる。

ところが旧移民はプロテスタントのため、新移民のサロンや酒飲みは許せなかった。
つまり、新旧移民の間に文化的亀裂が生じる。
さらに大陸横断鉄道建設のときに中国人の若い労働者が大量に移民としてやってくる。

食生活の違いが激しく、中国人移民排斥運動が勃発。

1882年に大陸横断鉄道が一区切りしたため中国人移民排斥法が成立。

かわりに、19世紀終わりから20世紀の始めにかけて、日系移民が大量に移民してくる。
当初はハワイに住んでいたが、カリフォルニアに移住。
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